「祈りの6箇月」の全体に関して

実際の作業に入る前に「祈りの6箇月」の全体を通して如何あるべきかを(簡単にですが)以下に纏めて書き出しておきます。最低限これら事を心に留め、そう努めるようにして下さい。

  • 常に神を信じ、神を畏怖し、神の栄光を称える事
  • 6箇月の間は他者との接触を避ける事
  • 仕事で支配されている地位にないのであれば仕事から自由になる事
  • 世俗的なものを絶ち、静かに1人で誠実に過ごす事
  • 我慢強く控え目にし、怒らない事
  • 過度の飲食や睡眠は決して行わない事
  • 6箇月の間は(病魔を追い払う場合を除外し)術者の体から血を損なわないように気を付ける事
  • 6箇月の間は法によって禁じた罪を自発的に犯さない事
  • 6箇月の間はどのような種類の如何なる死体にも一切触れない事
  • 如何なる死んだ動物の肉や血も食べない事
  • 子供については年長の子供と乳飲み子以外は予め遠くへ預ける事
  • 子供を生じさせるための結婚の勤めは義務であり、純潔なため尊重されるが、それも最初の4箇月間のみとする

以下、これらについて幾つか書き足しをしておきます。補足、そして厳しいものに関してはどう現実に適応させるかについて書いています。

6箇月の間は人との接触を避ける事

「6箇月の間は人との接触を避ける事」は(実際の作業の時(後述)にも改めて書きますが、)「最初の2箇月」「中間の2箇月」「最後の2箇月」と進むに連れ、その条件が厳しくなって行きます。「最初の2箇月」「中間の2箇月」に関してはまだ条件が緩いので「出来る限りそう努力する事」で十分だろうと思います。しかし、「最後の2箇月」になると条件はとても厳しくなり、家族(妻や子供の事)以外との接触を絶つ事が課されるようになります。こうなると、如何しても家族以外の人と関わらなければいけない状況がある人にとっては無理な条件となって仕舞います。そこで、この「最後の2箇月」に関しては、強制的に人と接触しなければならない場合を仕方がないものとし、更にそれ以外では「自分から(家族を除く)他者への接触を一切行わないようにする事」として対処します。即ち、「自分の意志」で家族以外の者と接触する事を避けるようにします。

仕事で支配されている地位にないのであれば仕事から自由になる事

「仕事で支配されている地位にないのであれば仕事から自由になる事」は、「従者や召使いなどの支配されている者を除き仕事から離れろ」と言う事かと思われます。しかし、現代(の先進国)に生きる労働者階級の人々は「従者や召使い」にあらずとも「仕事に支配」されていると言った状況も多いのではないと思います。ですので、これは「仕事を離れられる者はそう行え」と考えるようにします。(「従者や召使い」ではないが)仕事を離れる事が出来ない者は仕事をしつつ過ごすと言う事になるでしょう。しかし、これには「仕事をしながらも作業のための時間を十分に用意出来る事」が条件となります。特に最後の2箇月は朝昼夕と1日3回の祈りが必要となりますし、また、「最初の2箇月」「中間の2箇月」よりも更に多くの時間を祈りと神のためとに費やさなければなりませんので。(やはり理想は人里離れて小屋などで暮らす事でしょう。その次に考えられるのが、仕事から離れ自宅で作業に励む事でしょうか。こちらの方が人里離れた小屋よりは現実味があるかと思います。)

過度の飲食や睡眠は決して行わない事

「過度の飲食や睡眠は決して行わない事」とありますが、更に食事に関して言えば、特に酩酊と公での夕食とを避け、自分の家で家族と食べるようにし、その際も(毎日の食事に対し、必要だと思うのであれば)神に祈りを捧げるようにします。

6箇月の間は法によって禁じた罪を自発的に犯さない事

「6箇月の間は法によって禁じた罪を自発的に犯さない事」とありますが、これに関しては、もしこの期間に罪を犯せば、この叡智を決して得られない…とされていますので、注意するようにして下さい(例えそうでなくとも遵法は当然の事ですが…)。

如何なる死んだ動物の肉や血も食べない事

「如何なる死んだ動物の肉や血も食べない事」は「このような動物に悪霊が簡単に取り憑くためかも知れない」と言う事です。「動物の肉」について言えば、元の英文では「animal」「flesh」とあるため「魚(の肉)」などはその限りではないようです。

子供については年長の子供と乳飲み子以外は予め遠くへ預ける事

「子供については年長の子供と乳飲み子以外は予め遠くへ預ける事」ですが、子供を遠くへ預けるのは邪魔にならないようにとの理由からです。逆に言えば子供が邪魔にならなければ預けるまでしなくても良いと言う事でしょう。

子供を生じさせるための結婚の勤めは義務であり、純潔なため尊重されるが、それも最初の4箇月間のみとする

「子供を生じさせるための結婚の勤めは義務であり、純潔なため尊重されるが、それも最初の4箇月間のみとする」は子供を得るための性行為を認めていると言う事ですが、これは(術者が生活する事になる)寝室に於いては事に至ってはいけないものと思われます。他所で致すようにと…更にそれも程々であれと…言う事のようです。最後の2箇月に関しては完全に行えなくなります。


以上ですが、ここに書いた事意外についてはその都度示して行く事にします。

実際の作業に先立って最初に注意事項を書き出しましたが、ここから先に進めるのは、これらの内容を守り、6箇月間を最後までやり遂げる強い信念がある者のみです。以上に少しでも不安を感じるのであれば先へ進まないようにした方が良いでしょう。

― NOTE ―

『術師アブラメリンの聖なる魔術書』の『第二の書』にある「この作業に着手を望む個人の年齢と質について」から、この魔術を行なう上で最も適っているとされている条件を(英文からある程度そのままで)書き出しておきます。

  • 隠棲を好み、金銭への強欲さを持たず、穏やかで節制のある暮らしを自分自身に与えるような人間である事
  • 両親の嫡出子である事が望ましいが、カバラ(の知識)に関しては必要ではない。内密の結婚の下に生まれるた人間でなければ到達出来る
  • 年齢が25歳以内、または50歳以上であるべきではない
  • 如何なる遺伝の病気もあるべきではない
  • 未婚か既婚しているかは然して重要ではない
  • 従者や召使いなど、他のものに縛られており、この作業に必要である都合の良い時間がなくとも辛うじて要求された終わりに到着する事が出来る
  • 女性は唯一処女である事

色々と厳しい事が書かれているように思われます。これをそのまま受け取ると、「今の自分」は「アブラメリンの魔術」に不適合であり、作業に入る事すら無理な状態なのでは…と思われる人もいる事でしょう。しかし、良く見ると中には根拠のないものも含まれていますし、絶対的にそうでなければならないと言う程の事でもないように感じます。これらについて少し補足しながら見て行きましょう。

隠棲を好み、金銭への強欲さを持たず、穏やかで節制のある暮らしを自分自身に与える様な人間である事

「隠棲を好み、金銭への強欲さを持たず、穏やかで節制のある暮らしを自分自身に与える様な人間である事」は今までそうでなかった人についてはこれからそのように心掛ければ良いかと思います。そうでなければ現代人は殆どがこの篩いに掛けられ、作業へと進めなくなってしまいますので…。今まで例え悪い人間であったとしても心を改めさえすれば神は許し、受け入れてくれるでしょう(恐らく…)。

両親の嫡出子である事が望ましいが、カバラ(の知識)に関しては必要ではない。内密の結婚の下に生まれるた人間でなければ到達出来る

「両親の嫡出子」である事は「望ましい」であり「絶対」ではありません。また、カバラの知識についてもなければないで構わないようです(ユダヤ人「アブラハム」の息子「ラメク」にもカバラの知識はなかったようです)。

次の「内密の結婚の下に生まれた人間でなければ到達出来る」については、言い換えれば「内密の結婚の下に生まれた人間」であってはいけないと言う事になりますが、これにはメイザースの注釈でも「私はこの主張を大いに疑う」とあるので、例えそうであっても気にする事はないでしょう。

年齢が25歳以内、または50歳以上であるべきではない

年齢についても何故「25~50歳まで」なのか分かりません。6箇月間の作業が体力的、精神的に可能であれば50歳以上であっても構わないように思います。勿論、25歳以下だから駄目だと言う理由も見付かりません。年齢については気にしなくても良いでしょう。

如何なる遺伝の病気もあるべきではない

「如何なる遺伝の病気もあるべきではない」については、メイザースの英訳文では(メイザースは翻訳しただけなので実際に書いたのはユダヤ人「アブラハム」と言う事になります)遺伝病の例えとして実際の病名を挙げていますが(ここで書くと偏見を助長する事になるかも知れないので名前は伏せます…)、これについては(他の非遺伝的な病も含めて)その種類ではなく状態(病状の程度)で判断すべき事ではないかと思います。例え遺伝病であったとしても(書かれてあった特定の遺伝病に関する記述ではありません)最後まで作業を行えるだけの肉体的、精神的な状態があるのであれば何も問題にならないのではないでしょうか。ここは「遺伝病~云々」ではなく「心身ともに健康であり、理想を言えば持病などを持っていない事」として捉えて下さい。

未婚か既婚しているかは然して重要ではない

「未婚か既婚」に関しては関係ないようです。

従者や召使いなど、他のものに縛られていて、この作業に必要である都合の良い時間がなくとも辛うじて要求された終わりに到着する事が出来る

「従者や召使いなど、他のものに縛られていて、この作業に必要である都合の良い時間がなくとも辛うじて要求された終わりに到着する事が出来る」は、ある程度の時間が用意出来れば辛うじて達成出来ると言う事です。「従者や召使い」は主人に仕えるため、人との接触を絶つ事が難しく、そのせいか条件が少し緩くなっています(主人を無視する訳にいかず、強制的に話したり行動したりする必要がある為)。「従者や召使い」と言う言葉には当て嵌まらないかと思いますが、「現代人」に於いてもこれと似たようなところはあるかと思います。この項に関しては、「従者や召使い」の事からも、ある程度の融通が利くものと考えられるため、「如何しても逃れられない場合は他者との最低限の接触は行っても良い」と言った感じで捉えても良いのではないでしょうか。

女性は唯一処女である事

最後の項の「女性は唯一処女である事」はただの余計なお世話です。しかもユダヤ人「アブラハム」は例え女性が処女であっても(難を起こすだろうから)この魔術を教えるべきではないと強く言います。つまりは「女性は行うな」と言う事なのですが、これに関してメイザースは注釈でこう書いています。「ここにもう1つの(彼、ユダヤ人『アブラハム』の)偏見が現れている。現代に於いてカバラの多くの最も深い研究者は、共に結婚された女性と独身者である」。ユダヤ人「アブラハム」が言うには、女性は、その女性の特性故に難を起こすと(何の根拠もなく)考えているようなのですが、やはりこれはメイザースが言うようにただの偏見だとしか思えません。(実際にメイザースの時代にはモイナ=マグレガー=メイザース、ダイアン=フォーチュン、フローレンス=ファーなどと言った優秀な女性が多くいましたので。)ここでは「アブラメリンの魔術」は男女共に可能だと結論しておきます。個人的にも、彼(ユダヤ人「アブラハム」)が(当時の)キリスト教にある「女性は不安定(※1)」なものであるとか、「誘惑され易く、堕落しやすい(※2)」などと言った(当時の)差別・偏見の影響を強く受けているように感じました…酷い話です…。

(※1 「女性は不安定」なものと考えられていたのは月経などの理由からだと思われます。また、昔はヒステリーは女性特有の病気であり、それは子宮からくるものだとされていましたが、こう言った事も「女性には不安定な要素が多い」と考えられていた事からの勝手な決め付けがあったのではないかと思います。)

(※2 「誘惑され易く、堕落しやすい」と言うのは、「イブ」が蛇に唆され禁断の果実を口にしたためだと思われます。更に「アダム」に果実を勧めたのも「イブ」であり、人類の楽園追放の原因であるとされていましたので。)

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