「祈りの6箇月」の開始日に関して

6箇月間の作業に入る前に作業(祈り)開始の第1日を選択する必要があります。

『アブラメリンの聖なる魔術書』の中では「祈りの6箇月」に関して、「イースター(復活祭)(Easter)」、若しくは「過越祭(過ぎ越し祭)(Passover)」の翌日の朝に実行せよとあります。また、別の箇所では、作業を始める適正な時間は「イースター」の後の最初の日であるとも書かれています。

この事から「祈りの6箇月」を開始する日は「イースター」、または「過越祭」の翌日が良く、中で適正なのは「イースター」の翌日であると言う事になります。以下では「イースター」と「過越祭」とについて簡単にですが見て行く事にします。

イースター

「イースター」はキリスト教の祭典です。これはキリストの復活を祝う祭であり、春分の日以降に来る最初満月の後の最初の日曜日がその日となります(キリストがニサン(Nisan)の月の14日に死に、3日後の「日曜日」に復活した事から)。満月と日曜日とが重なった場合は次の日曜日がそれになります。「イースター」は満月の時期によって決まるため(太陽暦の上で部分的に太陰暦の方法を用いています)、毎年違う日になります(移動祝祭)。「イースター」は「過越祭」が初期キリスト教内で変化して出来たもののようです。

過越祭

「過越祭」はユダヤ教の祭典であり、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民が神によって救い出された事を祝う日です。「過ぎ越し」は、『聖書』の『出エジプト記』の中に書かれている「真夜中のエジブトを進み、国中の(エジプト人の)初子と家畜の初子を撃った(殺して歩いた)主」がエジプトにいたイスラエルの人々の家(の前)を「過ぎ越し」た…と言う出来事に由来しているそうです。「過越祭」はユダヤ暦のニサン(Nisan)の月の15日となっています。(『術師アブラメリンの聖なる魔術書』では [ 15 ] としかされていませんが、実際には14日の夕からになります。)「過越祭」は日付が固定されているように思えますが、これはユダヤ暦の上での日付であり、そのユダヤ暦自体が月の運行に従い(太陰暦)毎年違って来るため(ユダヤの暦では同じ日ですが)我々の太陽暦の上では毎年違う日になります。


以上が「イースター」と「過越祭」とについての簡単な説明です。そして肝心の6箇月の作業を始めるに当たり、「イースター」か「過越祭」か、どちらを基準に採用するかと言うと…結局、ここでは少しでも馴染みのあるキリスト教の「イースター」を選びたいと思います。(これは、ここで進めて行くに際し(勝手な判断、及び都合で)「イースター」を採用しただけであり、実際には各人の自由選択となる項です。)

「イースター」を採用すると言う事はキリスト教の基盤の採用であると言えます。(ユダヤ教は「キリスト」を「救世主」として認めていませんので「復活祭」はありません。)これにより使用するのは常に現行の太陽暦で済みますし、「安息日」も日曜日(「キリスト」が復活した日)として進めて行く事が出来るため、幾分か勝手が良いのではないかと考えられます。これより先は、キリスト教を基盤に置き、同教の祭典である「イースター」の翌日を「祈りの6箇月」の開始日とし、同教の習慣に基づき日曜日を「安息日」として進めて行きたいと思います。(「アブラメリンの魔術書」の中では「安息日」の定義を毎週のものに「過越祭」と「仮庵祭」とを加え、それ以外のものはないとしていますが、ここではキリスト教を基盤とするため「過越祭」と「仮庵祭」とは考慮しない事にします。即ち、「安息日」は日曜日のみと言う事となります。)

(ユダヤ教の祭典である「過越祭」を選択すると言う事はユダヤ教を基盤に選ぶと言う事になるでしょう。それによって「安息日」が土曜日(正確には金曜の夕から土曜の夕まで(6日間の創造を終えた神が安息した日、第七の日、神によって聖別された日))となります。更に、『術師アブラメリンの魔術書』にあったように「過越祭」と「仮庵祭」とを「安息日」として加えなければなりません。また、普段の生活では今の暦のままでも構いませんが(ユダヤ教の人達も普段は(宗教的な行事意外では)西暦を使用しいるようです)、宗教的な行事ではユダヤ暦に従う必要が出てきます((「過越祭」と「仮庵祭」とを含む)宗教的な行事はユダヤ暦によって決まります)。「イースター」が何時なのかを調べるだけの前者と比べ、こちらは馴染みが薄いせいか、それとも調べなければいけない事が多いせいか、少々面倒な気がします…。故にここでは不採用としました。)

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