魔術的訓練の要領

各訓練に於ける最初の段階での要領や注意点などを幾つか書いておきます。飽く迄も個人的な経験によるものですので、人によってはそれが適さない場合もあるかと思いますが、少しでも何かの足しになればと思います。

坐法

最初から「特定の坐法と、それを長時間を行なう事とを同時に試みる」のではなく、先ずは楽な姿勢を用いて「一定の姿勢で長時間留まる」と言う事自体に慣れるところから始めると良いかと思います。

先ず、十分な広さの場所を見付け、真上へと向かって仰向けになり、それから背筋を伸ばし、両手を腹部の上で重ね合わせるようにします。この時、体に力が入らないようにします。また、背骨を中心にして身体の左右が対象であると感じられなければなりません。(その一方で内臓の配置が非対称である事が普段よりも強く感じられます。)

後は眠って仕舞わないように注意をしながら、そのまま動かずに15~30分を過ごすように試みます。

これを繰り返し行い、何もせずに長時間同じ姿勢で留まる事に慣れ、苦痛を感じなくなったら「蓮華座」なり、「神の姿勢」なり、特定の「坐法」に挑戦して行くようにします。

呼吸法

訓練を始めて最初の頃はゆったりとした呼吸が苦しいと感じる事があるかも知れません。その場合は、多少間隔が短くても構いませんので、取り敢えずはリズムにだけ気を付けて呼吸を行なうようにします。そして一定のリズムでの呼吸を行なう事に慣れてから、ゆったりとした呼吸の練習に入って行くと良いかと思います。

片方の鼻腔から吸って吐く、吸う間隔と吐く間隔を意図的に変える…などの少し複雑な呼吸法もあるのですが、初期の段階でそれらが必要となる事は滅多にないと思われますので、最初は基本的な「四拍呼吸法」を完全に修得する事(即ち、意識せずにそれを自然に出来るようになる事)を目指して下さい。

思考の制御

「思考の制御」は集中力を付けるのにも有効な訓練だと言えます。魔術師にとって「集中力」は非常に重要なものなので、集中力が足りないと言う人はここで確りとそれを身に付けておくようにします。

最終的にはどのような環境であっても行なえるようにならなければいけないのですが、最初はなるべく集中し易い落ち着ける環境を用意して、その中で練習して行くのが良いかと思います。

視覚化

個人的にはこの「視覚化」の訓練(だけ)は何の苦もなく行なう事が出来た事から実感はないのですが、恐らく一連の訓練の中では難しい部類に入るものであり、そのため人によってはここでかなり時間を必要とする場合もあるのではないかと思われます。しかし、この「視覚化」は魔術にとって欠かす事の出来ない重要な技術(※1)ですので、訓練者は例え修得までに多くの時間が掛かろうとも確実にこれを行なえるようにしなければなりません(※2)。ここは手を抜く事がないように注意して下さい。この「視覚化」が十分に上達したならば魔術道具などの物質としての象徴物を用いる事なく魔術を行なう事も可能となります(※3)。先ずは簡単なところから始めて行き、ゆっくりでも構いませんので、「視覚化」のみであっても魔術を行なう事が出来る段階を目指しましょう。

(※1 魔術的作業の中核であり、魔術の目的(の一つ)でもあるのが「無意識の制御」です。その「無意識の制御」を行なうための直接的な鍵として(象徴物と共に)魔術師が用いるのが「視覚化」の技術であり、「能動的想像力」です。魔術師が「無意識の制御」を行なうためにこの視覚化と言う手段を用いるのは、能動的に強く「視覚化」されたものが無意識を操作する媒体となり得るためです。魔術師は(象徴物と)視覚化物を操作する事によって「無意識の制御」を試みます。故に、「視覚化」は魔術の目的を果たすための重要な技術であると言えます。これに対し、「坐法」「弛緩」「呼吸法」「思考の制御」と言った技術は、無意識を操作する上での身体的、精神的妨害が入らない状態を用意するもの、言わば作業のための基盤作り、魔術に適した状態を作るために使う技術であると言えます。)

(※2 魔術師が自在に「視覚化」を使いこなせなければならないのは、無意識を自在に操るため、即ち、自在に魔術を行なうためであると言えます。様々な事に臨機応変に対応出来るようになるためにも「視覚化」の段階は高ければ高い方が望ましいと言えるでしょう。)

(※3 魔術師は作業において(無意識に対して作用を起こすための媒体として)象徴物(無意識と結び付いているもの)を用いますが、「能動的想像」によって「視覚化」された象徴物は物質的な象徴物と同等と言えるものであり、視覚化された象徴物を(想像によって)操作すると言う事は物質的な象徴物を操作するのと同等(の作用を齎すもの)だと言えます(どちらも同じく無意識を制御する作用を持ちます)。魔術師が物質としての象徴物を一切使わずに「視覚化」だけで魔術的作業を行なえる理由もここにあります。また、例えば『ゲーティア』などの悪魔喚起に於いて実体としての悪魔ではなく「視覚化」したもので構わないと言うのもこれと同じです。(但し、『ゲーティア』に沿った手順で行なう悪魔喚起に見られる「視覚化」は能動的なものではなく、儀式によって自動的に発動する(させる)受動的なものです(例として『ゲーティア』を挙げたので『ゲーティア』について書いていますが、こう言ったもの(無意識を無意識的に誘い出すためにあれこれ行うもの)は他にも見られるものです)。『ゲーティア』による悪魔喚起の術は、術者が香の充満した暗がりで長々とした呪文を唱え続けながら悪魔の幻視が自動的に発動するのをひたすら待つと言うものであり、それは術者による能動的な「視覚化」を必要とするものではありません。…とは言っても、これは『ゲーティア』に全てを委ねて(鵜呑みにして)古い様式の魔術作業をそのまま試みた場合の事であり、術者の工夫によっては能動的な「視覚化」によって行なう事も十分可能です。そして、これに関しては個人的には能動的な「視覚化」によって行なわれる事が望ましいと考えます。))

「視覚化」の訓練は最初の段階では暗闇か、或は蝋燭の炎程度の(ぼんやりとした)明かりがある薄暗い空間で行なった方が良いかと思います。目を閉じて光を遮断して行なうのもお勧めです。光のある空間に向けての視覚化は暗い状態での「視覚化」が十分行なえるようになってからにします。

「視覚化」がある程度出来るようになったら、視覚以外の感覚についても同様に「能動的喚起」(能動的想像による感覚の喚起)を行なえるようします(※4)。中でも(個人的に思った事ですが)嗅覚と聴覚は特に重要であるように思います(※5)。個人的には聴覚、嗅覚、触覚、味覚の順番で練習した事を記憶していますが、この順番に深い意味はなく、当然、どれから始めても構わないものと思います。

それぞれの感覚で「能動的喚起」が行えるようになったら、今度はそれらを複合させて行えるようにします。

(※4 視覚以外の感覚についても喚起出来なければならないと言うのは、それらが視覚と同じように無意識へと働きかける作用を持ったものであるためです。)

(※5 聴覚と嗅覚が特に重要であるとしたのは、それらの無意識へと働きかける作用が特に強いと感じられるためです。これは個人的な感覚に基づくところが大きく、一般的であるか如何かは分かりません。この個人的な感覚を差し引けば全てが等しく重要であると言えるかも知れません。)

瞑想

「最初」は自分の最も身近なものから始めてゆくのが良いかと思います。自分の内面、外面、自分の身体の一部などでしょうか。良く分からない他のものを対象とするよりは行い易く且つ手軽(選ぶのが楽)です。先ずは「瞑想」と言う作業を行う事自体に慣れるようにしましょう。

イメージが貧困な者は普段から物語を読んだり、絵画や写真などを積極的に観たりする事を心掛けるようにしましょう。幾らかは「瞑想」の足しになるのではないかと思われます。

「瞑想」は訓練の段階を終えた後でも向上を目指して続けて行くものですが、訓練の初期に於いては「生命の樹」や万物の照応関係についての「瞑想(※1)(※2)(※3)」が十分に行なえる程度を目標とすると良いかと思います。そして、魔術の実践に入る段階の前までに象徴についての瞑想を幾度も行い、儀式魔術に於いて用いる象徴郡が安全に使えるか如何かの確認を済ませ、また、それらを安全に使えるようにしておきましょう。

(※1 この種の「瞑想」は無意識と象徴物の結び付けを行なうためのものであり、魔術を行なう上で非常に重要な訓練であると言えます。それは象徴を用いて行なう魔術作業が無意識の内容と象徴との間の「きちんと」した結び付きを前提としているためです。この「きちんと」した結び付きが形成されていなければ、象徴物の操作によって意図した通りに「無意識の制御」を行なう事は出来ませんし、場合によっては予期しない作用を引き起こす原因にもなります。象徴に関してはこの結び付きの確認を確りと行なっておきましょう。そして勉強を必要とするところは勉強し、結び付きがずれているものは修正し(連想(観念連合)からの締め出し、及び、適切な位置への結び付け直しを行う)、新たに結び付けが必要なものは新たに結び付けを行なうようにして下さい。)

(※2 「瞑想」によって「きちんと」した結び付きを形成して行く際に特に気にしなければいけないと思われるのが、西洋との文化、宗教の違いによる象徴の結び付きの差異です。西洋魔術を行なう上で用いられるのは西洋文化、宗教に根ざした象徴群であり、そこには我々の国(民族)、文化、宗教などを基盤にして形成された「無意識と象徴との結び付き」とは異なる部分もあります。この差異は魔術的作業において作用の差異となって現れます。(全人類的規模で根付いている象徴に関しては余り気にしなくても良いと言えるでしょう。また自分の国や文化圏にあった象徴を代用するなどの工夫を行なう場合もそうです。)我々が我々の国(民族)や文化などの中で生きて行く中で形成されて行った(或はそこに生まれた事によって最初から形成されているとも考えられている)象徴が、我々にとっては「きちんと」したものであっても、それが西洋魔術を行なう上での「きちんと」したものであるとは限りませんので(西洋文化的象徴と我々の象徴との間には象徴の持つ意味に大きな差異がある場合もあります)、確認の意味も込めてこの型の「瞑想」は確りと行なっておいた方が良いでしょう。また、象徴は同じ文化圏の人間であっても個人によってそれが持つ意味合いが違う場合もあります。魔術に於いて使用するのは、通常、集合的無意識の人類、人種、民族、文化圏の段階に於ける象徴ですが、例えば全人類に共通している象徴であっても、その象徴が個人によっては違った意味合いを非常に強く持っていると言う場合もあります。これも作業の中で予期せぬ作用を引き起こす原因となる可能性を持っています。これは連想を主とした「瞑想」によって把握する事が可能ですので、個人的な段階にあって非常に強い力を持って働く象徴があるならば(若しくは発見したならば)、儀式魔術を行なう段階に入る前にはっきりと意識化させておくようにしましょう。)

(※3 西洋魔術で用いられるのは主に西洋文化圏における象徴郡ですが、それ以外にもエジプトやアラビア、その他の非西洋地域の象徴が関わってくる場合もあります。ですので、これらについても学ぶべきものは学び(例えばエジプトの神に関してなど)、その上で確りとした結び付けを行なっておくようにして下さい。この辺りは我々だけでなく西洋文化圏の人間であっても(西洋文化(そして西洋文化圏に於ける象徴郡)の中には非西洋文化が入り込ん出来て影響を受けている部分や、非西洋文化と重なり合っている部分も多々あれど…)勉強と結び付けを行なっておかなければいけないところであると思われます。)

アストラル体投射

「アストラル体投射」は最初の段階では「光体」に意識を移す作業が一番難しいのではないかと思います。

訓練者は先ず目の前にある(若しくは自分と重なっている状態にある)自分の姿を想像するのですが、この時、それに対して物質的重さを持たせるような事はしてはいけません。想像は通常、目に見える以外の要素(ここでは重さ)も含めて行なうものですが(※1)、ここでは「光体」に重たさなどの物質特有の要素を持たせないようにする事が大切です。重力に引かれるような感覚を取り除いて、逆に浮力を持たせるようにしましょう。

(※1 勿論、意図的に特定の要素を除外して行なう場合もあります。この場合もそうです。)

「光体」へと意識を移す際に中々上手く行かないようであれば、何もない空間へ意識を投射する練習から始めると良いかと思います。「光体」へ意識を移す作業は最初は時間が掛かるかも知れませんが、一度行なえるようになれば後は繰り返し行なっている内に難なく行なえるようになる事と思います。

「光体」は最終的には何処にでも行けるようにしなければならないのですが、最初の内は余り遠くへ行かないようにし、滞在する時間も余り長くならないようにします。飛行時間、飛行距離は焦らずに徐々に延ばしてゆくと良いかと思います。

訓練者は「光体」を成長させながら「アストラル界」の冒険を進めて行く事になりますが、それと同時にその中で出会う様々なものを注意深く観察して真偽を見極める目(感覚)を養って行く必要があります。運行力(行動力、活動力)と共にこの解釈力(判断力)も「光体」の成長には欠かせない重要な要素であると言えます。

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